日本飼料工業会について

沿革

1951年11月日本配合飼料工場会(任意団体)の設立

日本配合飼料工場会(任意団体)の設立

戦後の1947年~1948年当時、日本の畜産ならびに飼料業界の危機に対処するため、配合飼料工場で組織された日本配合飼料工場会と新興飼料の生産者による新興飼料協会とが相互提携して危機突破運動を実施していた。
しかし、1951年1月の飼料需給調整規則の廃止を契機に両団体は統合され、日本配合飼料工場会が設立された。

1954年3月社団法人日本飼料保税工場会の設立

社団法人日本飼料保税工場会の設立

飼料の配給統制制度が廃止された1951年前後から日本の経済状態も急速に安定化し、畜産物需要も食生活の改善により増大傾向となった。そのため、配合飼料の安定的供給のため自主努力を重ねていたが、穀物の輸入市場が戦前の満州等から米国等へと変遷し、飼料原料の確保に苦慮することとなり、輸入価格が高騰するなど、極めて不安定な状況に陥った。
このような事態に対処するため、1952年12月の「飼料需給安定法」及び1953年4月には「飼料の品質改善に関する法律」の飼料関係2法が制定され、飼料の需給と価格の安定化対策とともに、品質の改善・向上を図るための措置が講じられた。また、1953年8月の「関税定率法」の一部改正に伴い、配合飼料工場の承認工場制度も認められることとなり、これに伴って同保税工場会を社団法人日本飼料保税工場会に改組した。

1957年4月協同組合日本飼料保税工場会の設立

協同組合日本飼料保税工場会の設立

日本の畜産業界、飼料業界の安定化と今後の発展を促進するためには社団法人のままでは弱体であり、特に経済的諸活動ができないという問題があったことから、同保税工場会を「中小企業等協同組合法」に基づく協同組合日本飼料保税工場会が設立された。その結果「飼料需給安定法」に基づく払下げ団体として指名を受けるとともに、その他の飼料原料の安定確保対策(共同買付け及び輸入市場の調査・開発等)と配合飼料の品質の改善・向上のための諸事業を実施することとした。

1963年7月協同組合日本飼料工場会に改名

協同組合日本飼料工場会に改名

1963年3月の「関税定率法」の一部改正に伴い、従来の保税工場を承認工場に全面変更することとなったため、同保税工場会を協同組合日本飼料工場会に名称を変更し、協同組合としての積極的な事業活動を実施した。

1974年5月協同組合日本飼料工業会に改名

協同組合日本飼料工業会に改名

団体に係る出資金等及び加入組合員の資格の関係法律改正と本組合の社会的地位の向上を図る目的により、同工場会を協同組合日本飼料工業会に名称を変更した。

2007年4月創立50周年

創立50周年

1978年には配・混合飼料の生産量は2,000万トンの大台を突破するなど安定期を迎えたが、国民所得の伸び悩み等により過去のような大幅な伸びは期待できなくなっていた。また、飼料穀物等の飼料原料の需給が国際的に高まり、国際需給動向を反映した大きな価格変動や世界情勢による為替相場の変動を繰り返したため、配合飼料価格の変動を余儀なくされることとなった。飼料畜産業界にとってはまさに苦難の時期であったのだが、配合飼料価格安定基金制度により切り抜けることができた。
1985年以降になると、飼料業界は国際化対応時期を迎え、畜産立地の変遷に対応するための飼料コンビナート建設が促進されるなど、より一層の生産・流通体制の合理化が図られるようになった。
2000年代に入ると、口蹄疫、BSE、鳥インフルエンザなど相次ぐ家畜疾病が発生し、またスターリンク、Bt-10など遺伝子組換え穀物の混入事件が確認されるなど、安全性確保に対する対応に迫られた。更に消費者の安全・安心への関心が高まるとともに、配合飼料業界では牛用飼料の製造工程分離等安全性確保への所要の対応を行った。
本組合は関係各位並びに諸先輩方のご指導により、2007年4月に創立50周年を迎えた。

日本飼料工業会50周年記念式典フォトアルバム日本飼料工業会50周年記念式典フォトアルバム

※名称・役職は、2007年4月当時のものになります。

私たちはどこへ向かっているのか

はじめに創立50周年にあたり

概要の最終文に協同組合日本飼料工業会が2007年4月に創立50周年を迎えたと記した。本組合が歩んできたこの50年の道のりは、基本法農政のもと、安価な飼料原料を世界中から確保し、それら適切に配合して、日本国内の家畜に供給するためのビジネスモデルを構築してきた過程であったといえるだろう。
 この50年の間に、配・混合飼料生産量は123万トン(昭和32年度)から2,400万トン(平成18年度、以下同じ)に拡大し、家畜飼養頭羽数は鶏が4,534万羽から2億8,130万羽に、豚が154万頭から972万頭に、牛が317万頭から440万頭に拡大した。これらの軌跡は、日本の食生活を飼料供給者としての立場から底支えしてきたことを示しているだろう。
 しかしながら、この50年をかけて多くの先人が築き上げてきたビジネスモデルは、時を経て大きな転換点に差しかかっているといえるだろう。今、本組合員は6つの大きな潮流に直面しているからである。

第1の潮流農産物の輸入自由化

第1は農産物の輸入自由化、関税の引下げという潮流である。
ウルグアイ・ラウンド以降、日本は多くの農産物の輸入を自由化した。その結果として、国内の畜産物生産量が減少し、平成7年度には配合飼料生産量は2,500万トンの大台を割り込んだ。今後、生産者の高齢化や担い手問題がより一層深刻になり、さらに人口減少に伴う消費量の減少が追い討ちをかけることから、配合飼料生産量2,000万トンの大台を確保し続けることは多くの困難を伴うかもしれない。量的な発展が望めない中で、どのような生き残りを図ればよいだろうか。

第2の潮流グローバル化の進展

第2は、グローバル化の潮流である。
WTOなどの貿易問題だけにとどまらず、グローバル化の進展は、世界中で問題となっている感染症問題、エネルギー問題、環境問題などが、同時に国内にも波及することを意味する。
様々な農産物が世界中から輸入されるようになり、物の移動が地球規模になれば感染症問題もグローバル化する。海外から大量の物資を輸入すれば、それに伴い様々な病原菌や化学物質も流入することになる。
BSE、鳥インフルエンザ、口蹄疫等を経験した今、感染症や耐性菌問題は現実に直面しうる危機であることが明らかになった。今後、温暖化に伴う新たな伝染性疾患の発生は、現代の畜産業を維持するうえで大きな脅威になる可能性がある。BSE、鳥インフルエンザ、口蹄疫等我々を危機に陥れた感染症問題は、すべて物の移動に端を発している。グローバル化が日々進行する状況下で、予期せず突発するリスクに対して我々は準備をする必要がある。

第3の潮流中国やインドなどBRICs諸国の台頭

第3は、中国やインドなどBRICs諸国の台頭に伴う潮流である。
BRICs諸国の台頭は穀物の需要全体を押し上げる。様々な要因により、飼料穀物だけにとどまらず、大豆かすや魚粉といった副原料にまで価格高騰が波及している。我々は、この50年の間、厳しい国際競争にさらされながら合理化を進め、これらの課題を一つ一つまじめに解決してきた。そして、今後も我々は国内の生産者との共存共栄を果たさねばならない。
飼料産業は、国内の畜産業があってこそ存立しうる産業である。国内の畜産業が安定的に発展することが飼料産業の発展の原動力となる以上、飼料産業はまず第1に国内の畜産が安定的に存続できるよう、高品質でリーズナブル、かつ安全で安心な飼料を安定供給する義務がある。

第4の潮流食の安全・安心を確保するために

第4は、食の安全・安心を確保するための潮流である。
2001年9月にBSEが発生してから6年以上が経過した。現在でも感染源の特定と感染経路は判明していない。2001年9月に発生した1例目から2008年3月までに確認されたBSE診断牛は35頭にのぼる。18年以降にも12頭がBSEと診断された。それでもパニックが起こらなかったのは、食肉と飼料の安全対策がBSE発生後わずか1カ月の間に矢継ぎ早に打ち出され、一定の安心感が広がったためと考えるべきであろう。全頭検査が実施され、特定部位の除去により食肉の安全性が担保されたからであり、何より飼料規制の強化で感染拡大に歯止めがかかったからである。これは飼料業界が一致結束してライン分離、交差汚染防止処置等に取り組んだ成果である。2003年7月からはエリア別に取組みが始まり、2005年3月末までには全国の飼料製造工場で完全分離態勢が整った。肉骨粉を感染源とするBSEの発生サイクルを遮断したことは、食の安全・安心を確保するうえで大いに寄与したといえよう。
このBSE問題や食品の不正表示問題を背景として2003年「食品安全基本法」が制定されたが、本法においては配合飼料製造業者をも食品製造関連事業者として位置づけた。配合飼料を製造することは、食品を製造することと直結していると法的に位置づけられた以上、配合飼料の安全性は食品並みに確保する義務を負った。しかも、安全性を確保するために対象となった化学物質は、 50mプールにわずか1滴溶け込んでいるかいないかの量が対象となっている。極めて微量の化学物質を適切にコントロールし、飼料の安全・安心を確保するためにはISO、HACCP、GMP+等の規格基準の導入など、相当の技術とコストが必要となる。
大量の配合飼料を製造するためには、飼料原料の輸入が不可欠であるが、日本の安全性基準と輸出国の安全性基準は必ずしも一致していない。廉価で安定的に飼料を供給するためには、生産工程の安全性を確認しつつ、リスクとコストを適正にコントロールする必要がある。今後、リスク管理についてはリスクコミュニケーションの実施も含めて、広く消費者、実需者に対応していく必要があると考えられる。

第5の潮流限りある資源のもとでの環境問題への対応

第5は、限りある資源のもとで、否が応でも環境問題への対応を迫られているという潮流である。
地球温暖化等による大規模な気候変動は、飼料原料を確保するうえで、極めて困難な問題となる可能性が指摘されている。地球シミュレータによると50年後の日本(本州)では7月に田植えが行われると予測されている。それは日本における畜産という産業そのもののあり方が大きく変貌する可能性をも示唆している。しかもその変化はわずか50年という短期間に起こりうる劇的な変化である。その現実に対して、我々はどのような答を用意すればよいだろうか。
我々は、バイオテクノロジーという技術に対して希望を持った。確かに、遺伝子組換え技術の進展は、海水でも育つ植物や乾燥に強い植物の開発が不可能ではないことを示している。しかし、一方では遺伝子組換え技術が万能でないことを我々は知りえた。遺伝子組換え技術は消費者の求める安全・安心への懸念を払拭できてはおらず、すべての問題を解決できる技術であるかのように展 望することはできない。しかも、家畜をいかに効率的に飼養するか、という観点から積み上げられた技術であった。しかし今や、家畜を可能な限り狭小な空間に集約し、効率のみを追求することは、環境問題に加えてヨーロッパ諸国では家畜福祉の観点からも問題視されるようになった。
幸いなことに、これまでの50年は、飼料穀物を安定的に確保するためのシステムが有効に機能した。ある局面では政策的な支援を受けることができ、またある局面では代替の飼料原料を確保することができた。しかし、今後の50年を見据えたとき、地球という限りある資源を枯渇させることなく引き続き飼料穀物を安定的に確保するためのシステムは、果たして有効に機能するのであろうか。食用になりうる穀物を家畜に給与し、動物性たん白質を効率的に獲得する今後の畜産業はどうあるべきなのだろうか。
米国ではとうもろこしを主原料とするエタノール生産が急増している。これは中東原油依存のエネルギー政策からの脱却をねらいとしたものだといわれている。さらに、植物を原料として生産されたエタノールが使用されてもCO2の排出権問題に抵触しないことから、環境政策としても有効であるとされている。2005年米国エネルギー政策法及び2007年エネルギー独立・安全保障法の成立により、とうもろこしがエタノール生産用に大量に仕向けられるようになり、とうもろこしを始めとして飼料穀物価格が高値で推移している。
米国産飼料穀物の依存率が高い我々は、今後、米国のエネルギー政策、環境政策等々に大きく左右される。この先、飼料原料として何を、どこからどのように確保するべきか。食糧安定保障にかかわる重要な課題であると考えられる。

第6の潮流消費者の信頼の醸成

第6は、消費者の信頼をどのように醸成するかという潮流である。
BSE、鳥インフルエンザ等の感染症事件、あるいは虚偽表示などを通して、感染症による直接的なダメージ以上に、消費者に不信感・不安感を抱かせれば企業経営の永続性を根底から揺るがしかねないことが明らかになった。その意味において、危機管理、リスクマネジメントは企業経営を存続させるための極めて重要な視点となった。今後、食の一翼を担う飼料産業は消費者の信頼をどう醸成していけばよいだろうか。
今、日本の将来を背負う子供達に食べること自体の意味を教える食育という授業が始まりつつある。この50年をかけて日本の畜産を飼料供給の立場から支えてきた我々は、現代の子供達にどのような働きかけができるだろうか。
今後の50年を展望するにあたり、日本の国土、気候風土を踏まえた食文化を創造しうる日本の畜産の姿を、我々の手で作り出す時期にきているのかもしれない。
すでに我々は、相当なスピードで変化を続ける時代のうねりの中で、新たな道のりに踏み出している。国内外の情勢に的確に対応し、本組合は畜産農家への飼料の安定供給を通じて、畜産物の安定供給の一翼を担う使命がある。今後とも、本組合員一同、本組合に与えられた使命の大きさと重要性を認識し、日本の畜産振興に引き続き寄与するべく努力を続けていきたい。